・テキサスリトリート 2016年7月23日~8月7日 | 2016年8月13日~8月28日

2016年の募集は締め切らせていただきました

定員を超えるお申込みをいただき、ありがとうございました。
来年度の優先的なご案内を希望される方は、Contactページより、ご登録をお願い致します。

2016年夏 テキサス親子馬リトリート

子どもを完全英語環境のサマースクールに入れたい方
お母さん自身がワイルドな体験をしたい方
子育ての学びを馬を通じてされたい方
昭和風にみんなでワイワイ共同生活、親子で人間力を磨きたい方
とかく初体験の連続、スリルを味わいたい方
ヨガと瞑想とヘルシーな食事で、あわよくば痩せたい方

※滞在期間 月〜金の平日は子どもたちは日帰りのサマーキャンプに参加します。
5歳以下のお子さんの場合、ベビーシッターさんをお願いすることになります。

参加者が決まり次第、フェイスブックでグループを作り、参加するお母さんたちには、体作りを開始していただきます。もちろんご自分のペースでOKです。またサポートが必要な方には、どんなエクササイズをしたらいいかなど、アドバイスをさせていただきます。テキサスに来る前に体力作りをしておくことで、馬セミナー他、更に楽しんでいただくことができます。

子どもたちは9:00〜16:00まで、サマーキャンプに参加します。キャンプの様子は下記ビデオをご覧下さい。(※ 過去、英語が全く分からない日本人の子どもたちも参加していました。)

McKinney Roughs Nature Park: Outdoor Programs

キャンプから戻った後は、夕飯までお母さんたちと一緒に過ごせる自由時間があります。近くにプールや湖や図書館があり、また牧場はハイキングできる広い土地に囲まれていますので、アクティビティーに困ることはないと思います。夕方は子どもたちは牧場で馬の世話と馬房掃除をします。最初はお母さんたちの指導が必要になりますが、だんだんと子どもだけでできるようになるものです。

お母さんたちは午前の部と夜の部に分かれて、馬セミナーをやります。朝2時間の馬セミナーの後はヨガと瞑想。その後にランチタイムです。その後、子どもたちが戻って来るまで自由時間があります。

後半グループの夜の馬セミナーは、ナイターができる馬場が宿泊施設の目の前にありますので、子どもたちと夕食を済ませ、子どもの寝る用意をしてから、セミナーを受けることができます。

ウォーターパークやチュービングという川下りなど、行ける場所はたくさんあります。みんなで話し合って、何をしたいか自分たちで決めるという、自由な形がいいですね。遊び場所や観光の候補地を下記、出しておきます。ちなみにNASAまでは車で2時間半です。

https://austintexas.gov/department/barton-springs-pool
https://parks.traviscountytx.gov/find-a-park/hamilton-pool
http://www.schlitterbahn.com/
http://www.tubetexas.com/rivers/san-marcos-river.html

■ お問合せ・お申し込みは、こちら からお気軽にどうぞ。

2015年度の北海道・親子馬リトリートは
終了しました。


親子馬セミナーのお問い合わせは野呂まで
noro▲eigobon.sakura.ne.jp(▲を@に変えてください)


2014年の動画:



みきさん

 

文章にまとめることが苦手なので、イラストを描きました。

※イラスト下の丸印もしくは「次の画像を表示」をクリックすると、画像が入れ替わります。



明美さん

 

長年の念願だった馬リトリートへの参加、本当に実り多いものでした。

○ 馬との関わり

正直、乗馬がしたいという気持ちはありませんでした。長年培ってきた由紀子さんへの信頼と、自分に足りない何かを求めて馬リトリートに飛び込んだというのが実際のところです。 結果、由紀子さんの言うとおり、馬との関わりは自分を映し出す鏡でした。馬たちの反応によって、 自分ではこうだと思い込んでいた自分像が、「あれ?私ってこうだったのか」と訂正されたり、 「ああ、やはり自分の特性はこうなのだな」とまざまざと突きつけられたり。

子どもに対してリーダーシップが取れているつもりでしたが、上手く判断できてないことによる不安から、子どもにお伺いを立てていたこと。 結果への責任回避とリーダーシップの放棄により、子どもを御せずに来た自分へのしっぺ返しが、今の子どもの姿なのだということ。 子どもを追い込むばかりで、子どもをよく観察せず、感じず、リリースのタイミングが悪いこと。自分にも子どもにもダメだしばかりして、その場を楽しめないこと。 また近視眼的に物事を捉えがちで、五感を働かせて全体を把握できていないこと、等々。 問題が浮き彫りになっただけでなく、馬を通して、実際どうすれば良いのかに結び付けるトレーニングになりました。

では今、この気付きを行動に出来ているかと言うと、正直できていないこと多々ありますが、でも、少なくても修正しようと努力できています。もちろん娘が成長したことも大きく影響していると思いますが、失敗はしつつも娘との関係は良くなったような気がします。


○ ヨガ・呼吸法・瞑想

パワーリーディング受講時から、瞑想は苦手でした。湧き出る思考を消せず、引きずられては諦めてしまい、せめて呼吸法だけでも・・・と、たまにトライする程度でした。 でも、瞑想がしたいという想いはずっと持っていました。今回のリトリートではっきり認識したその理由は、私の中に溜まったもやもやから介抱されたい、手放したい、自由になりたいのだ、ということ。

不思議だったのは、皆から心配されるほど寝不足でハードな日々だったのに、ほとんど発熱を意識しなかったこと。気合で押し込んでいたいのかもしれませんが。帰宅するとほどなく発熱し、リトリート前の体調に戻ってしまいました。でも改善すべく、自分が変わり、自分を大切にし、心の安寧と健康を取り戻したいと思っています。

牧場の周囲の森へ外乗した時、後ろにいる由紀子さんから、「明美さん、大丈夫。今はリラックスして楽しめば良いのよ。」と声をかけられたその瞬間、周囲の景色が目に飛び込んできて、心の中で何かが湧き上がり、何故か涙が溢れそうになりました。 忘れられない思い出です。


○ 共同生活

五家族での共同生活もまた、馬リトリートに欠かせない重要な学びの場でした。 特に、お互い同じような想いをもって集まってきていることが分かっていたので、表面的な付き合いのママ友と違い、本音で話をすることができ、本当に良い場、良い学びを共有できたと感謝しています。

馬との関わりでも同じ学びがありましたが、実際に群れで生活することにより、常に自分の立ち位置を確認しながら、今すべきことは何か考え、全体を観察しながら自分の行動に集中し、状況の変化に応じて行動を変えていかなければ、共同生活もうまく回っていきません。グループで生活することは、馬からの学びが即座に試される、実践トレーニングの場でした。

子どもへの接し方、日常の家事、その他様々なことが五者五様、自分の中に取り入れたい学びが沢山ありました。また、普段の生活でふと疑問に思っても忘れてしまったり、人に聞くほどでもないと流してしまうような小さなことも、その場でパッと聞いては「なるほど」と思えたことも、他者と共存することの良い点だったと思います。


○ 子ども

群れで生活する経験は、子どもにとっても宝になったと確信しています。息子は選択性かん黙症により、9ヶ月前まで家族と限られた人としか会話しませんでした。それが、初対面から緊張しながらも自己紹介し、1歳ほやほやから8歳から成る異年齢の子どもたちと、朝から晩まで一緒に遊んで、ケンカして、泣いて、仲直りして、同じ釜の飯を食べて、いろんなお母さんから叱られて・・・。こんな素晴らしい経験はこれまでここでしか出来ませんでした!そのことで、彼の中にどんな種が撒かれたのか、考えるだけでワクワクします。

息子は北海道から帰宅した翌朝、朝ごはんを食べながら急に大泣きしました。
「北海道に行きたいよ~!みんなと一緒に遊びたいよ~!」と。


○ 開催場所

馬リトリートがテキサスではなく、北海道であったことは、とても大きかったです。私は何年も前から参加したいと思っていましたが、子どもに食物アレルギーがあり、英語も食料事情も医療も分からない海外で、長期間生活するというのは不安だったため、ずっと参加を躊躇していました。 しかし子どもが大きくなり、除去食品数が減ったことも大きな要因ですが、何より国内であったからこそ安心して参加できました。


○ 由紀子さん

言うまでもなく、由紀子さんあっての馬リトリートでした。由紀子さんから言われるからこそ、ストンと腑に落ちる気付き、学び、労わり、感謝。同じプログラムを別の人が行っていたら、私は果たして、信じて飛び込めただろうか・・・。


このように項目ごとに書きましたが、どれが欠けてもこの馬リトリートの魅力は半減すると思います。単家族で馬リトリートが行われても、そこから得る学びと、自分の中に落とし込まれる度合いは、今回のリトリートと比べようもなく少なかったことでしょうし、子どもを連れて参加する意味も大きく損なわれます。

馬リトリートから戻り、そこで得た学びを日々の生活に落とし込んでいくことが、今の私の課題です。ついつい惰性で以前と同じ繰り返しをしてしまいがちですが、ただ、違うと意識し、改めようと行動することを続けていき、少しずつ良いスパイラルに入って行きたいと思っています。

最後に、 皆さんの頑張り、優しさ、パワーが、どれだけ私の糧になったことか。 本当に、心から、ありがとうござました!またお会いできることを願ってやみません。


加奈子さん

 

馬リトリートに参加して、私はやっと自分自身の本質に向き合うことができました。今考えると自分の性格がモロに出て、それを直視しなければならない状況は、乗馬という非日常を通してこそできた貴重な経験だったと思います。日常生活で人から指摘されたり、また自分で感じるところがあっても、なかなか認められなかった根っこの部分を、馬リトリートではしっかりと見つめることができ、母親にとって本質的な自分を認識することは、とても大切なことであると改めて気付かされました。

もともと私は馬に乗りたいという気持ちや、馬が好きという気持ちが強かったわけではなく、参加には決意が必要でした。しかし「認識できていない自分自身」を理解することは、母親である私にとって、とても大切なことではないかと感じていたのと、馬との接し方と育児(というより母親の心)の共通点を見出した由紀子さんの文章に触れ、「意識できていない自分」が明確になるような気がして参加することにしました。

親の鏡であるわが子に、母親の無意識下の悪い習慣まで刷り込んでしまうのは、下手をすれば命まで縮めてしまうことになります。考え過ぎと思われるかもしれませんが、私は生死の境を経験したことがあり、そのためたとえ母がいなくなっても、しっかりと地に足を付けて生きていける力を、子どもたちに養ってあげたいという思いが人一倍強いのだと思います。

私は由紀子さんの、「わが子に釣った魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」という考えに強く共感しています。そしてそのことを実生活の中でも大事にしているつもりです。ところがそう思ってはいても、様々な情報や環境などに振り回されてしまうことも多々あり、「可動域は広いが軸はブレない母親」であるためのヒントを、この馬リトリートで得られるのではないかという下心も抱いていました。

実際に馬リトリートでは、「意識できていない自分の本質」を馬たちから嫌になるくらい(笑)自覚させられました。特に「考えずに感じる」という、自分では得意だと思い込んでいたことが馬たちが鏡となって、(実はできていなかった)ことをまざまざと見せられ焦りました。

私はその体験から大きく気づいたことがありました。それは「(すでにやり方が解かっているから)考えずにできていただけ」ということでした。「感じる」という、言うなれば野生の感覚を働かせることを再確認したり学ぶことは、現代で生きる人間にとても大切なことと思います。私自身、頭で理解することばかりに意識が向いてしまい、心で感じることが疎かになっていました。得意気にブルース・リーの言葉、「考えるな、感じろ!」ができていると思っている場合ではなく、馬と対峙する現場では、常に自分に”Don’t think, Feeeeeeel!”と言い聞かせる必要がありました。

では馬リトリートでは実際に、「可動域は広いが軸はブレない母親」であるためのヒントを得る事はできたのか?その答えは動じない姿勢の保ち方、そして野生の勘を働かせることの大切さを体感するなど、馬レッスンからはもちろん、ヨガや何気ない話の中からも得ることが出来ました。

馬レッスンの中で特に心に残ったのは、由紀子さんの「少しのことでもコレクトしたらリリースする」という言葉です。子どものことで言えば、子どもが理解したことを小さなことで気付き認めてあげるということです。そのことは馬リトリートの後、早速実行しています。北海道での共同生活や馬レッスン等でかなり成長したこともあり、娘はより一層たのもしくなっています!私が彼女を認めてあげることで、娘から私に対する信頼感も見て取ることができ、馬リトリートから帰って来てから、母子関係がより強く結ばれた気がします。正に「子は親の鏡」ということを実感しています。

最後に、由紀子さんとの出会いはもちろん、みなさんと出会えたことを心から有難く思っています。馬リトリートで出会えた人生の先輩、子育ての同志に乾杯です!!


美紀さん

 

馬リトリートを「最高!」と感じ、2年連続して馬リトリートに参加している者です。いつの日か馬リトリートに参加してみたいと考えられている方のご参考になればと思い、私の感想を書き留めてみます。

ではまずは、昨年参加したテキサス馬リトリートと今年の北海道馬リトリートを簡単に比較してみます。


①海外と国内 :

海外は単身で行くのは楽しいのですが、去年は3歳の娘(それもキツいイヤイヤ期)を連れての初めての海外旅行。テキサスは自分の知らない土地ということもあり、思い返すと娘に対する親の責任を潜在的に重く感じ、精神的にかなり緊張していたと思います(歳は食ってても母歴は浅いのでたちが悪い)。反面、北海道での馬リトリートでは国内というだけで、不案内のところでもこんなに安心感をもてるんだなぁ、と実感しました。その分、精神的に余裕ができ、学びにより専心できたかもしれません。


②子どもの環境 :

去年のテキサスでは、アメリカ人家族に子どもを預け(所有の馬に乗せてもらうこともあり)、迎えた後は母親が子どもをさまざまなところに連れて行く(公園、図書館、水遊び、プール等)といったパターンで、大変貴重な経験をさせてあげられたと思っています。

今年の北海道では、親が目を離していても、自然の中で自由に遊ばせてあげられたこと(普段の都会での生活でもっとも娘に対して不憫に感じていることです)、また素晴らしい指導者の方々の下で、子どもに馬と遊ばせたり引馬をさせる程度をはるかに上回る、きちんとした乗馬を体験させてあげられたことに親として無上の喜びを感じています。そんな素晴らしい体験を幼年期に得られている娘にジェラシーを感じるぐらいです。


③豊かな自然 :

テキサスの自然は雄大で荒涼とし乾いていて、何を見ても「デカっ!」。しかし、どちらかというと自然は人間には厳しく、人間は自然と対峙しているように感じました。必然、こういった環境から生じると思える民族的な違い(いわゆる大陸気質?)を意識させられ、悪く言えば島国根性丸出しの日本人が、こうした環境にいる「外人」に(これからの国際社会の中でどう立ち向かっていくべきか)など、考えさせられることが多々ありました。

反面、今回の北海道十勝においては、季節的に理想的な時期だったことも幸いし、正に「水水しい自然」、「人間に恵みをもたらす自然」といった、「人に優しい豊かな自然」を感じつつ生活を送ることができ、人間に優しい豊かな自然に、まるで心が洗われたような気さえしました。


④馬との関わり:

テキサスでは今年のようにレッスン会場が生活の場から離れていず、レッスンで関わる馬達はレッスンの時だけではなく、子どもたちと一緒に馬の世話をしたり、レッスン以外の時でも頻繁に馬たちと接触できたので、馬がより身近に感じられました。自然と密着した生活に加えて馬という大きな動物が常に身近にあることは、精神的に安定をもたらすことだと実感できました。


更にテキサスと北海道での馬リトリートを体験し共通していると思える点について:


①人間ではない動物(馬)を扱うこと :

人は他者に諭される時、特に私はその傾向がありますが、それが尊敬している人、自分が認めている人からでない限り、なかなか最初からすんなり他者のアドバイスや指摘など、心に響き受け入られるものではないと思います。しかし、馬と対峙している時の自分の行動や状態を、「単なる事実」として引き合いに出された場合、実際に起こっていることであるため、それは事実として受け止めざるを得ません。結果、そこから自分を省み自身を見つめ直す、という普段の生活ではなかなか得ることができない機会となりました。


②共同生活 :

子どもを同行させての長期にわたる共同生活では、適当に繕って付き合うことができる普段のママ友達との関係のままでは済まされません。複数の家族との共同生活では好むと好まざるに関わらず、各母親の衣食住に対する考え方と実践の様子、親子関係に対する考え方とその実際が全て晒されます。

核家族(主に)の生活を送っている初対面同士の親子達にとって、最初は混沌とした日常生活を共同で回すだけで精一杯なところからスタートします。それは年齢の違った子どもたち、考え方の違う大人たちが入り混じったリアルな生活です。そこでは次第に自分の恥をさらすことになったり、自身の有能・無能さを知らしめることになったり、他人の行動に当惑したり、反感をもったり、耳の痛い思いをしたりと、自分と他者との関係を意識し考えるようになっていきます。共同生活の中では、ママたちにこれといって決まった上下関係があるわけではありません。ですから円滑な生活を送るために、必然的に場面場面に応じた自主的、かつ臨機応変なリーダーシップやフォロワーシップ、パートナーシップが問われることになります。そうしためまぐるしい役割の中で得る学びは、決して他者から与えるてもらことはできない自発的なもので、普通の生活ではとうてい得ることはできない学びになりました。 同時に馬との関係の中で得た「気づき」が、共同生活を送る他の母達の様子や行動を目の当たりにすることと重なり、馬からの気づきが深まったり、または改善や解決の糸口につながったりなど、馬と共同生活との間で見事なバランスが築かれていたように思います。


③ヨガと瞑想 :

日々の育児と家事から離れて、毎日ヨガと瞑想の時間を持つことは、動と静のバランスを心身ともに保つための重要な要素だったと思います。 またその余韻として、馬リトリートが終了した後でも、良い影響はその後の日常生活にもたらされている気がしています。忙しない性質の私ですが、少なくとも「日常生活でこのようなバランスが必要である」という自覚が、そのことから得られた気がします。 あとは日々の実践ですが、その部分はまだ課題です。


④子ども同士の関係 :

核家族化や都会化の進む現代、子どもにとって生き辛い世の中になるばかりと感じている方は、私だけではないと思います。馬リトリートでは似た思いを持ち、同じ方向を向いているお母さんたちが、子どもたちを見守りつつも、かといって子どもたちに過度の制約は与えず、大人が子ども同士の関係に介入しないよう、自然な形で互いに暗黙の了解が得られていたと思います。そのため子どもたちは縛られることなく、同世代の子どもたちと自由に伸びやかに過ごし、時には衝突しながらも小さな子ども自身の社会の中で、自分たちで時間をかけて秩序を作り上げていく機会を得られました。そのような豊かな機会に恵まれたことは、親として全くありがたい限りです。


以上、比較にせよ共通点にせよ、挙げ連ねていれば大小きりがないのですが、ざっと私の中で印象的なところだけ取り上げました。

しかし、何よりもこの馬達との関係の築き方を指南し、馬に対して自分がどうであったか、どうしたらいいかを具体的かつ客観的に言及してくださる、由紀子さんの存在が大前提としてなければ、この馬リトリートが成り立たないと思っています。何をやるか、どんなプログラムなのかという表面的なことだけでなく、「指導者」がキモであり最も重要な点であったと感じています。

そう考えてふと、自分自身の仕事に思い至りました。私は学習障害を持つお子さんの、学習指導をさせていただいていますが、実のところ子どもたちに使っている教材(道具)は、本当にシンプルなペーパーだけなのです。ただそれを使って、子どもに正しい答えが書けるよう教え込むのではなく、答えを導くために「どのように思考して課題に取り組むべきか」また、取り組む姿勢が「日常生活だけでなく、生きる力にまで反映し応用できるか」、その学びを受け取ってもらうことが大事だと考えています。しかし、それを伝えるのはシンプルなようでかなり難しく、そうした抽象的な学びを理解できずに表面的にこの教材を使う方も多く、また深い部分を理解するに至ったとしても、道具を使いこなせないことも多々あります。つまり、人さまを指導するにあたり非常に大事なことは、指導する道具を持つことではなく、道具を使う指導者の能力という、暗黙知が問われる奥深いものだと思っているのです。

そこで今回の馬リトリートに戻り、上記の観点から考えた時、私は改めて由紀子さんの道具(ここでは馬)の使い方の神妙さに息を飲む思いがしたのです。私の中では「目的」、「道具」、「指導法」、そしてそれを考えて選択し実践する「指導者」がキーワードです。馬リトリートではそれが見事に成立していると感じたのでした。他方、馬リトリート終了後、私は由紀子さん以外の方から初めて乗馬レッスンを受けたのですが、それはある意味で衝撃的でさえありました。馬という生き物を乱暴に、単なるモノ(道具)のように扱うことを指導する方(でもその方が決して特別変な指導者であるわけでもなさそうです)からは、支配的な威圧感で圧倒こそされますが、尊敬の念が生まれることはありませんでした。

学校教育に置き換えても、「指導者」が学問を教えるという「目的」のために、教科書などの「道具」をどのように使い、子どもたちに学びや気づきを与えてくれているのか、改めて考えさせられました。そう考えますと、娘のもっとも身近な指導者である親の私が、身の回りにある無数の道具を使って、どこへどのように子どもを導くか。そのためには親が豊かな経験を積み、子どもとの密接な関係を築きつつ、目的意識をもって子どもを導いていかなければならない・・・馬リトリートではこうした点をも見直す機会を得られたと思います。


幸子さん

 

長年憧れていた由紀子さんに、満を持して会いに行くことが出来ました。

飛行機で行ける所ならどこでも行けると思っていたところ、国内でリトリートが開催されるという案内を頂き、悩むことなくすぐに参加希望の申し込みをしました。

元々馬が大好きで、フィジカルコンタクトなしに馬をコントロールするなんて、魔術師みたいな技をこの目てみたい。犬の躾が育児のベースになっているので、馬から学ぶことは多くあるだろうなという期待がありました。

直接、指摘されるよりも、馬が鏡のようになって、たくさんの気付きを体験しました。


由紀子さんから教えられたのは、

・呼吸の仕方

・少しずつ負荷をかけていくこと

・コレクトしたらすぐにリリースすること

・小さなことから躾けていくこと

・相手の気持ちに寄り添いつつも、飲み込まれないようにすること

・どうしたいか決めて、イメージすることです。


北海道で感じたのは馬は乗り手がどうして欲しいのか敏感に感じる力があるということ。それを馬にきちんと伝えられない能力不足、決して威圧的になって馬を脅す必要はないということ。動揺していないフリをしても、呼吸や心拍数が上がっていることで馬にはわかってしまうこと。

私が馬に指示を出しながらも、馬の気持ちに寄り添いすぎて甘くなってしまう自分の弱さや、道具に頼ってしまう弱さを指摘されました。

親戚付き合いのほとんどない核家族で育ったので、共同生活は大変学びの多い2週間になりました。家事はお手伝いさんを頼めばいいという家に育ったし、実際外注していたこともあるので、一緒に共同生活した他のお母さんたちの家事レベルの高さには驚きました。

反省点では家事をまわすのに精一杯で、子どもとの関わりが減ったこと。

時間がなさすぎて子どをお客様にしてしまったことで、注目関心を惹くために問題行動が多かった。家事分担を多くして、子どもの居場所を作ってあげた方が良かったと思いました。

京都に戻ってからは、由紀子さんに教えていただいたことを書き留めて、毎日読むようにしています。

(人のために気を使う。感謝の気持ち、他人へのリスペクト、学ぶ姿勢。沈思黙考し、内観する)

由紀子さんの厳しさと優しさに触れ、自分がいかに子どもであるかを痛感しました。リーダーとは斯くあるべし。

教えを胸に、一歩ずつ成長して行きたいと思います。ありがとうございました。

最後に、本音で向き合って下さった、みなさま、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。


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