・テキサスリトリート 2016年7月23日〜8月7日 | 2016年8月13日〜8月28日 

「馬には意識が伝わる!」と知ったのは、初めて馬に乗った時でした。初めての乗馬レッスンで、私が乗っていた馬を歩かせようとすると、馬場の真ん中に立っているインストラクターの方に曲がってしまい、自分が思った方向に馬を動かすことができませんでした。その時インストラクターから「あなたの意識が私に向いているから、馬がこっちに来てしまうのよ。馬をまっすぐに歩かせたいと思ったら、あなたが行きたいと思う方向に意識を向けてみて!」と言われました。そして、彼女に指示された通り、私は自分が行きたいと思った、遠くに見える木が茂った方向に意識を向けると、なんと馬がスウ〜っとそちらに向かって歩き始めたのです。

「馬と関わることで、無意識下で何を思っているか気づくだけでなく、無意識の思いを意識化し、更には意識を強く持つことで、抽象的な意識を具現化する練習をすることができる!」そのことが雷のように私の中に響き、初めて馬に乗った後、馬を飼おう!と決心したのでした。しかし、その時すでに45歳。その年齢でこれまで関わったことのない、大きな動物の馬を扱うことを、一体学べるようになるのだろうか?年齢的な問題と、その道の未熟さを克服するためには、私は多くのマスターたちから教えてもらうことを、効率的に学ぶ必要がありました。これまで20人以上のマスターたちに、乗馬および馬の扱いを教わってきましたが、若い頃から馬と関わってきた人たちのように、自然に体得できた人たちとは違い、私は学ぶための情報収集も含め、どうしたら学べるのか深く考える必要がありました。そして、よりよく学べるようになるためには、「学ぶ」こと自体を知るという、メタ・ラーニングについて学ぶことが大切であると考え、私は馬たちとの関わりによって、メタ・ラーニングについて改めて考察することになりました。

学び方には人によって、得意・不得意な感覚があります。耳で聞いて理解しやすい人(聴覚)、目で見て理解しやすい人(視覚)、身体を動かして覚えることが得意な人(体感覚)、そしてそれらを総合した感覚をマルチモーダルと言います。よりよく学ぶためには、自分がどの感覚を使うと学びやすいか知るだけでなく、得意な感覚を更に伸ばすように意識すること、そしてまた、不得意な感覚も鋭敏になるよう意識することで、マルチモーダル感覚を伸ばしていくことを、私は45歳以降に、馬との関わり合いの中で、体感にて徐々に練習するようになりました。そのような感覚に敏感になってくると、今度は人に教えたり、人に何かを伝えようとする時に、人によっては視覚で訴えた方がいいのか、言葉という音声で伝えた方がいいのか、以前よりも感じやすくなると考えます。ちなみに馬も耳が鋭いと感じる馬と、目をよく使っていると感じる馬がいます。面白いことに馬に乗っている時に、馬の頭の後ろから目の後方を見て、彼らの思考を感じるよう、よく観察していると、どちらの目を主に使っているか、明確に感じることができます。

事故など咄嗟に何かが起こった時に、物事がスローモーションに動いている感じがすることをタキサイキアと言います。人間が自分の命を守るために脳が誤作用し、スローモーションであると自分の身体を騙すことで、出血などを抑える機能だそうです。馬に乗って完全なる野性の自然の中に出かけますと、タキサイキア現象とまではいきませんが、人が危機を乗り切るために、頭が鋭敏になることを体験できます。私自身は、大きな野豚が藪から突然現れたことで、深い森の中で落馬して大怪我をし、このタイサイキアを体感しました。そこは馬に乗らないと人里に戻れない所だったので、気合いだけで馬にまた乗って帰りましたが、その時、物事がスローモーションに感じただけでなく、近眼なのに遠くまでハッキリと物が見える体験をしました。そのような危険な体験は、もちろんしない方がいいのですが、自然の中で馬と関わることで、これまで使っていなかった脳の領域が広がる感覚を、実体験として体感できます。

馬は数語の単語を理解できるようですが、彼らとのコミュニケーションはもちろん非言語です。動物と非言語で会話するためには、自分の身体から、知らぬ間に出ている情報を、知覚する必要があります。そして、自分自身の身体から出ている情報に敏感になり、それを認識できるようになると、今度は他者が出している非言語情報を理解することにも、だんだんと敏感になります。人と人とのコミュニケーションは、言語は約10%のみで、約90%は非言語で行っていると言われています。つまり顔の表情やボディー・ランゲージ、もしくは声の音色などから、実のところ私たちはみな、多くを感じ取っています。そしてその能力は本来、人間、誰しもが持っているものであり、特別な人にしかない才能ではありません。ただ、現代社会の生活様式の中で、埃をかぶってしまって、隠れているだけなのです。非言語の中でもボディー・ランゲージは、人の身体から出る情報を、読みとる能力を持つ馬たちの反応で、彼らが人の鏡となり、馬たちとの関わりを通して、ボディー・ランゲージの理解と、その使い方に敏感になることが可能です。更には、ボディー・ランゲージに留まらず、人の身体から放たれるエネルギーの使い方まで、学びを派生することができます。

非言語を深く理解するためには、身体から出る情報の元となる、自分自身のマインドを知る必要があることを、私は馬たちから教えてもらいました。脳で考えること、また心臓で感じることから生じる、意識というエネルギーは、身体を通して、無意識に自分から放たれています。ならばコントロールすべきは身体の動きではなく、本気で何を思っているのか?本心は?真意は?正直な心は?という意識です。しかし、自分が本当に何を感じているか、意識できないことは往々にしてあります。また日常生活で、自分自身にも嘘をつく生活を長く続けていることで、人は往々にして、心の底に横たわる、本当の気持ちに鈍感になっています。例えば、本当はやりたいのに、やる前から諦めているとか、本当はやりたくないのに我慢してやるとか、または本音と建前がいい例です。動物はその点とてもピュアなので、心から出ている情報と、観念運動という身体から出る情報の不調和を、敏感に感じ取ることができるのでしょう。つまり心と態度が一致していなければ、馬に悟られてしまうのです。特に他の動物の餌となる餌動物の馬は、人の不調和に敏感です。人は自分自身を騙すことができても、馬を騙すことはできません。

The Institute of HeartMathの実験では、磁気探知器での計測によると、人間の心臓から出る電磁場は脳のそれよりもはるかに大きく、心臓から約2メートルから3メートルの電磁場が放たれているとのことです。そしてなんと、馬の心臓からは、人間の心臓から磁気探知器で計測される数値の、約5倍の電磁場が広がっているそうです。また馬の心臓のリズムは、側にいる人間の心臓のリズムと、共鳴するという研究結果があります。その他のリサーチでは、馬の側にいるだけで、ストレス・ホルモンの分泌が減少するという結果もあります。このように目に見えない馬の特性では、科学的に証明されていることが多々あります。が、馬と実際に関わりを持てば、科学的な根拠など知る必要はないくらいに、馬の側にいるだけで気持ちが安らぎ、身体の中に電気がピリピリと通るような感覚を、身体で感じられる人もたくさんいます。私自身もその体感覚があったため、そのことに科学的な根拠があれば、(なんとなくそう思っている)ということを、人にも説明できるのではないかと考えました。が、実のところ頭で知っても意味はありません。大切なことは、自分自身の身体で感じるということです。

サンゲージングとは太陽を眺めることです。サンゲージングをすると太陽の光によって、スピリチュアルな能力と深い関係がある、第三の目と言われている、脳の松果体が活性化されるそうです。またエネルギーを食物によって供給するだけでなく、太陽の光がエネルギー源となってくれるそうです。それだけでなく、サンゲージングは感覚を覚醒させる効果があると言われています。サンゲージングを行う際には、裸足になり地面にグラウンディングする必要がありますが、馬の4本足は地球にコンセントを付けているように、グラウンディングされているに違いないと考えた私は、裸足でサンゲージングする一定期間を終了した後、今でも馬上でサンゲージングをしています。そのことで大きな変化があったのは、一言で言えばエネルギッシュになったことでした。また食べるという行為にも、かなり大きな変化が生じました。食べ物に対するこだわりがなくなったことで、食べてもいいし食べなくてもよくなり、そのことは他の物事に対する見方にも、大きく影響したと思っています。(注)サンゲージングを始められる方は、詳しいやり方を勉強されてから始めてください。いきなり強い太陽を見ないように。

馬たちと一緒にいると愛情が湧き出てきます。彼らと一緒にいると時間を忘れ、(とにかくかわいい)という気持ちに満たされてしまいます。他に形容しようがないので、(かわいい)を連発してしまいますが、毎日彼らと一緒に時間を過ごし、かわいいかわいいという気持ちになれることは、とても些細なことではありますが、なんて恵まれているのだろうと思っています。この(かわいい〜)と思える気持ちで、幸せホルモン、または愛情の脳内ホルモンと呼ばれるオキシトシンが分泌されると、緊張感がほぐれ精神安定剤のような役割をしてくれるそうです。また心が癒されアンチエイジングにも効果があるそうですから、一見取るに足らないことに思える(かわいい〜)には、人が幸福になるための効果があるのでしょう。ちなみに馬は経済動物と言われていますが、我が家にいるミニチュア・ホース(オードリー)には、小さすぎて乗ることができません。ただし、オードリーは人に乗られる馬になるなどの、仕事をすることはできませんが、彼女には彼女の役割があります。それは、そこにいるというだけで、(かわいい〜)とオキシトシンが分泌されるという、幸福の処方箋の役割です。

私は馬たちから、人とのコミュニケーションに非常に役立つ知恵を、日々学ばせてもらっています。例えば、他者との境界線の設け方、同性の女性との付き合い方(男脳なので女っぽい人の思考回路が分かりません)、支配的リーダーシップと受動的リーダーシップ、問題が大きくなる前に処理する方法、人との間の物理的な距離や立ち位置の角度、能動的に行動することと、受動的に行動すること、ミラーニューロンを意識して使う方法、また世の中には、動かす人と動かされている人がいるということが、明確に見えるようになったなど、馬たちからは、日常生活の中で役立つ知恵を多く学べます。尚、それらは体感を通じて学んでいるため、頭で学んでいるだけでは、本当には腑に落ちないことでも、しっかりと身体に刻み込まれているように、習得することができます。ちなみに、私が馬たちから学んだことで最も重要だと思うことは、プラトンによるソクラテスの言葉で表されている、「私は自分が何も知らないということを知っている」ということです。

なぜ馬なのか?その想いを書ききろうと思うと、膨大な量になってしまいますので、簡単に思いついたことを上記に記しました。

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